関西弁に対するメディアのバイアス

 奈良の小1女児誘拐殺人事件から1年。被告が後悔の念を綴ったとする手記が弁護側から公表されましたが、それを伝えるニュースで違和感を。
 某ニュースショーでの紹介時、ナレーションが関西弁なまりになっていたこと。
 私自身は東京生まれ東京育ちだが、両親は西日本出身、特に母方は京都出ということで(広義の)関西弁に対して馴染みがあるというか、旧来東西文化論やある意味蔑視論的にも捉えられがちな特有感を持って眺めたことがないためか、これまでも往々にしてあったであろうそうしたシチュエーションに特段の引っかかりは覚えなかったのですが、この時は何故か印象に残ったのです。
 ひとつには、女児の両親も手記を発表しているのですが、そちらはやはりナレーションであったものの(声は違った)なまりはなく、ゆえに被告を強調する効果があったことでしょうか。
 こうした演出技法そのものを云々したいというわけではありません。むしろ関西のメディアも逆手に取って関西弁を協調することも往々にしてありましょう…ただ、犯罪絡みということが今回違和感を増幅させたのかなと。例えば東北や九州出身の犯罪者の場合に同様の手法が取られるかどうか。恐らくそれはないかなと。逆の意味で言えば、関西弁が全国的に比較的受け入れられやすい環境になったがゆえの手法であるとも考えられますが、さてどうなのかなと。
 ま、そのニュアンスが「ニセ関西弁」に近かったがゆえの違和感だったのかもしれませんが…やっぱり安易だなぁと。