かきはじめの記

 子供の頃はよく書いてたんです、日記。小学校のときに、恩師(…ってのもヘンですが)にすすめられるままに、ノート何十冊も書いてたなぁ。要は書くことが好きだった。作文も何枚も書くのに苦にならないほうだったし。
 日記こそ中学校以降書かなかったけれど、弁論大会常連とか、書くことは続けてました。ぼんやりと将来は新聞記者に…なんて思ったこともあります。でも周りからは「文章が硬い」なんてその頃から言われていたっけ。高校時代には時代小説(池波正太郎に心酔!)にハマッて、中途半端に技巧に凝ってたっけ。

 書くことの初めての挫折は、大学に入って司法試験を目指していたときかな。数学の何が嫌かって「証明」だった自分にとって(文章力で誤魔化して0点、ってなこともあったよなぁ)、いわゆる正答への方程式に当てはめるような論文式の訓練は何も生まなかったなと…まぁそもそも短答からだめだろ、ってな話はあるんですが。
 でもうまくできたもので、大学4年であっさり司法浪人の道をあきらめて飛び込んだ就職活動で才能が再び開花? ベシャリのハッタリも頭である程度組み立てていないとできないものでして、それっていわば脳内でストーリーを書いているんですよね。いや、超氷河期なんて云われたときでしたが、就活は楽しかったっす。
 さらに乗ったのがインターネットの世界でしょう。パソ通こそやってませんでしたが、いわゆるWin95時代以降のネット社会黎明期は文章力ありきなところが強かったですから、その上趣味の世界はどんどんディープ化していったわけで、どっぷりと浸かって今に至っております。


 …でも今年は「書くことへの絶望」に打ちひしがれた(というか現在進行形の)年になりました。その兆候こそは一昨年くらいからじわりじわりと感じ、去年こそ避雷針で避けていた感覚でしたが、今年はもろにどーんと打たれてしまいまして…ま、その仔細や時系列的な自身の感情の推移を書くまでには立ち直っていないのですが、ともあれ2ヶ月くらいは何も書けない状態が続いていました。
 端的に云えば、一介の趣味的カテゴリーにおける論述作業について、自身の固定的な「文章の硬さ」が当初は味になっていた(と自身で感じていた)ものの、結局は自身を繕う技巧にしか過ぎず、中身が空疎であることが白日の下に晒されたとでもいいましょうか。ま、身から出た錆ではあるものの、一方でそれらの論述作業場を提供することで有意義なコミュニティの形成が図れていたにもかかわらず、あっという間に脆くも崩れ去ってしまったことこそが衝撃だったなぁと。


 なにやらわけのわからない独白ではありますが、ともあれ書くことができなくなってしまった中で、最近になってふっと立ち返ってみて、これまでのWebとの付き合いがあまりにも一介の趣味的カテゴリーに凝り固まっていたなぁと。「好きなこと」を何でも書けばいいじゃないか!と思うようになってまず楽になりました。ただ一方でその趣味的カテゴリーの自サイトを構築していること(そしてその維持)が自身を解き放つ障壁になってまして、Blogも魅力的だけど立ち上げる精神的な体力もなかなか盛り上がってこなかったのですが、今日あっけなくその壁を突き抜けてしまいました…そのきっかけとなったことは後述するとして、ともあれ当面は不定期になると思いますが(なんせ基本三日坊主ですので)、自信の思ったことを奇を衒わずにぶつけてみたいと思います。時に硬カタの文章にもなりましょうし、時によーわからんというものにもなるでしょうが、とりあえずやってみます…それが書くこと、そして自身の折れた心のリハビリになると信じて。